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気が向いたときに、ぼんやりとエントリするブログです。Twitterで書き切れないことを書きつける場所にしています。

競馬

今年も無事でなにより(第67回有馬記念のこと)

メインスタンドが西から射してくるはずの陽の光を完全に遮ってしまう。 だから、冬の午後の中山競馬場はとにかく寒い。特に12月は日没が早くて、直線はいつも薄暗い。重たい雲が空を覆うようならば、いまにも闇に包まれるのではないかというほどだ。当然、照…

世代交代しましょうか(第89回東京優駿のこと)

世代交代は望みのとおりに起こるわけではない。むしろ真正面から望まれて成功することは稀で、ほとんどの場合は水面下で進行して、いつのまにか交代させられているのである。われわれの目に映るときにはすでに終わっていて、あとからそこが時機だったのだと…

現場で空間に干渉する意志(第83回優駿牝馬・オークスのこと)

2019年の有馬記念以来、例の騒ぎのせいで競馬場へ行っていなかった。正確にいえば、ずっと入れなかった。かといって競馬場へどうしても入りたかったかと問われると、そうだといえるのは八大競走とジャパンカップくらいのもので、しかも、厳しい抽選を突破し…

好機にひるむな(第165回天皇賞のこと)

あと少しで何事かが成就するというときになって、人はなぜか臆病になることがある。一度こえてしまえば大したことのない重圧だが、それまでにささやかでも成功の体験がないと、そこで立ちすくんでしまうのだ。 そうして好機を前にして怯み、手に入れてしかる…

秩序を与えよ(第82回皐月賞のこと)

桜花賞からの1週間はとにかく長かった。 授業が始まった途端に学校に出てこられなくなった先生があったり、例のはやり病の影響があったりで、対応に追われててんやわんやになってしまった。 これまでとにかく軽薄に、とにかく無責任に生きようと心がけてきた…

優等生とスーパーナチュラル、あるいは才能のきらめきとは(第82回桜花賞のこと)

2年連続で 高校1年の担任をしている。生徒の入学後から大型連休までは、とにかく休む間がない。高2、高3の担任がゆるゆると教室や授業の準備をしているときに、背中にロケットをくくりつけられて発射されるように強制的に動かされている感じがする。2年連続…

お前は種牡馬になるんだ(第66回有馬記念のこと)

ダービーと有馬記念は特別なレースだ。毎年、競馬の周りにいるみんなが願いをかける競走だと思う。ダービーが前年6月の新馬戦からの一年間を振り返って自分の願いと再び向き合うものならば、有馬記念は金杯からの自分を振り返って願いおさめをするものであろ…

力の証明を求められるとき(第164回天皇賞のこと)

選挙の朝は、祭のあとである。駅の前やら通りやらで、やかましく声をはりあげていた人たちが嘘のように消え、静かないつもの日曜の朝がくる。選挙と深くかかわれば、残り火のように胸にのこる興奮をもって投票所へむかうのかもしれないが、そこまでの熱量を…

未踏の場所へ(第82回菊花賞のこと)

目覚めのコーヒーをあたたかいものに変えた。夜明けは遅くなり、昼は短くなる。寒く暗い部屋でむかえる朝は憂鬱をはこんでくる。これはよくない兆しだ。過去へ思考が押しながされて脚が前へでなくなる。そうなる前にコーヒーをもうひと口のんでカーテンをあ…

その馬には使命がある(第88回東京優駿・日本ダービーの展望)

ダービーに集う馬たちは、なにかしらの使命を与えられてやってくるものだ。それにかかわる人の思い、馬自身のもつ血の因縁、同世代の馬たちの間で生じるライバル性、さまざまな物語が積みかさねられてきた。そして今年も、新たなストーリーが紡ぎだされよう…

信用や信頼が役に立たない世界だが(第82回優駿牝馬・オークスの展望)

賭事にあたるとき、律儀さはなんの役にも立たない。賭事は基本的に他人を養分にしなければ勝てないのだから、いかにして他人の期待を裏切り、他人の認識と自分の(あるいは自分に与する者たちの)認識とのズレを生み出すかにかかっている。裏切りが深ければ…

豪州的、あまりに豪州的な(第163回天皇賞の展望)

阪神競馬は、オセアニアである。あるいは、香港だといってもいい。特に内回りコースはその傾向が強い。 大阪杯、宝塚記念の好走馬に香港やオセアニアでの活躍馬が多くみられることが、その証明となるだろう。また、阪神の芝短距離におけるデインヒルの影響力…

速さと早さのバランス(第81回皐月賞の展望)

皐月賞で求められるのは、完成度と爆発力のバランスだろう。牡馬クラシックの一冠目、そして小回りで直線の短い中山2000mコースということもあって、ある程度の完成度と操縦性がないと不安である。操縦性に欠く場合にはそれを補うだけの力、終盤に力強く抜け…

光る未来のヒロインへ(第81回桜花賞の展望)

わたしは古い価値観から抜け出せないものだから、どれほどGIが増えても、やはり八大競走こそ至高なのだと思う。3月にGIが移されたり作られたりしても、やはり桜花賞がはじまりだと感じる。 そもそも、すべての競走馬は母馬からはじまるのである。いうまでも…

来るべき、黄金旅程の完成(第81回菊花賞のこと)

11月の菊花賞が好きだった。晴れていても寂しく、雲が出ればうす暗い、冬の訪れさえ感じさせるような冷たい風の吹く淀こそ、菊花賞にふさわしいと思う。 今年の菊花賞はそれに近い。10月25日という現行の番組では最も深い位置になるだろうか。低い位置からさ…

このすばらしい世界に祝福を

ちょうどいいくもり空は、今年のダービーの気分に似合っていると思う。 震災の年のダービーは、大雨だった。ぬかるむ馬場でどろどろになりながら、オルフェーヴルが三冠を予感させる圧倒的な強さをみせた。彼の強さは、ヴィクトワールピサとトランセンドがド…

鎮静剤としての競馬

正気を失いそうでいてギリギリ発狂せずにいられるのは、毎週の競馬があるからだと思っている。競馬場に行くことはかなわないけれども、かろうじてでも桜花賞が行われ、皐月賞も施行される流れであることに安堵している。 ふたつのレースは競馬ファンが晩春を…

有馬記念は別れの隠喩である

ダービーと並ぶ、日本競馬界最大の祭りである有馬記念。しかし、ダービーの祝祭性とくらべると、有馬記念は少し寂しい。年の暮れに行われることと、これを最後に引退する馬も多いことが、なんとなく物悲しい気分をつくるのかもしれない。 ダービーは、よく集…

きょうがすべて

これが最後のダービーかもしれないと、思うことがある。 それは競馬がなくなるとか、じぶんが死ぬとかそういうことではなくて、この国の競馬の質が大きく変わって、ダービーがダービーとしての機能を果たさなくなるのではないか、ということだ。 競馬は、競…

夏はもうすぐ(エプソムCとマーメイドSの展望)

夏競馬へ向けての助走がはじまっているわけだが、まだアタマはぼんやりとしている。函館が開くまではまだ夏本番という気分にはならないのかもしれぬ。 例によって時間が作れないので、スマートオーディンの帰ってくるエプソムカップと、なかなか旨味のありそ…

ダービーと私(優駿牝馬の反省と東京優駿【日本ダービー】のこと)

ダービーの日は、自分の競馬観を試験されるような気分になる。 この世代の新馬戦が始まってからの一年、自分がどのように競馬を観てきたのか。ひとレースごと、一日ごと、一週ごと、一開催ごとの蓄積が正しかったか、誤りだったか。揺るがぬ信念があったか、…

リラの花咲くあの丘で(ヴィクトリアマイルの反省と優駿牝馬の展望)

土曜午前のレースを日吉が丘で観るのが好きだった。 広い府中の競馬だから草競馬のおもむきとまではいかないけれど、それでも、日曜日にくらべて、のどかでゆるやかな時間が流れていた。いまの職場は土曜も仕事があるので、もうそんなゆったりとした時間は、…

常連のいる店は入りにくい(先週の反省とヴィクトリアマイルの予想)

先週はわりと真剣に予想をしたのだけれども、結果は渾身の◎ミスターメロディが4着という結果。 かなしみにうたれた私は京王線に乗ることができず、是政まで歩き、西武多摩川線に乗った。あきらめきれない思いをかかえたときや、競馬の余韻を少しでも長くもっ…

選ばれるのは、だれだ(第23回NHKマイルCの予想)

思い返せばその兆候は、第1回のときからあった。 タイキフォーチュンが勝った、というよりはファビラスラフインが負けたレース。2月終わりのデビューから、さわらび賞、ニュージーランドTまでを圧倒的な才能で3連勝した彼女が、激流に呑まれて惨敗したあのと…

「信」のはてに(第157回天皇賞、あるいは岩田康誠騎手のこと)

自動車レースのレーサーたちに「レースは怖くないのか」と問うと、きまって次のようにこたえる。レースのときに周りを走るのはすべてプロのドライバーであり、運転の下手な人がいないので一般の人が想像するほど恐怖はない。むしろ、普通の道を走っているほ…

一勝より一生、総取りより狙いうち(クラシック前哨戦の総括)

スプリングSと毎日杯がおわり、桜花賞と皐月賞へ向けてのトライアルは終了した。2歳から活躍してきた馬たちは、一部に誤算はあったものの緒戦をおおむね順調にパスした。中心になるであろう馬たちの故障も、いまのところ少ないのがよいことで、ダノンプレミ…

「あいつさえいなければ」というしかないのか(第55回弥生賞のこと)

板東英二がよく「王と長嶋さえいなければ」ということがある。V9巨人を象徴する、というより戦後プロ野球の神であるふたり。そのような他を圧倒するような存在と違う時代にうまれていれば、自分の運命はまったく違ったものになっただろうと、冗談めかして(…

オウケンムーンと北村宏司の夢(第52回共同通信杯のこと)

もうだいぶ時間が経ってしまったけれど、共同通信杯のふりかえりを。 共同通信杯のオウケンムーンは遊びを残していたという印象だ。最後は首高な感じでまだ余裕がある印象だ。 新潟でデビューしたときは少し不器用なのかなと思ったが、新潟の2戦目を圧勝して…

「いま」はまだ、つぼみ(第58回京成杯のこと)

おじさんパワーをみせられたね、といった内容のことを横山典弘騎手が話していたのは、2009年の天皇賞(秋)の優勝インタビューだったか。 とはいえ、無理をさせずに、大事にレースを使われてきたカンパニーは、まだまだパワーにあふれていた。ノリさんも中年…

龍王の娘は母の希望となるか(第52回シンザン記念のこと)

フサイチパンドラの印象はあまりない。フサイチパンドラの優勝した2006年のエリザベス女王杯は、繰り上がり1着になった彼女よりも1位入線したカワカミプリンセスの斜行が印象に残っている。次の年の女王杯でも2位入線した彼女だったが、そのときは、ダイワス…