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グリーン車についての雑感

 旅行にでている。おかげさまで、ここまでよい滞在ができている。部屋にちゃんとした机のあるホテルで、考えごとが捗る。ありがたい。

 

 個人的な旅行で新幹線を使うときは、長い時間を普通車で過ごすのがつらくなってきたので、グリーン車を利用するようにしている。それはもちろん、座席が広いから体力的に楽であることもあるのだけど、さらにいえば、普通車の「情報の多い感じ」が苦手になってきたこともある。ひとの話し声や身じろぎするさまが気になるのだ。

 旅行に出るときは、仕事が詰まった後の息抜きだったり、強行軍での遠征だったりする。すると、かなり疲れている、あるいは旅行後のダメージをできるだけ減らしたいと思う。移動中のストレスはできるだけ減らしたい。そこでよけいにお金を払っても、グリーン車を利用しようと考えるようになった。

 友人は、移動は移動として割り切って、その分旅行した先でお金を使いたいと言う。けれども僕は、移動も旅の一部として楽しみたい。しかも、自分で運転をしてどこかへ行くよりも、勝手に運んでくれるタイプの移動が好きだ。だから、移動空間の居住性はすごく大事に考えている。

 

 さて、いつもは、お盆をできるだけ避けて旅行に出るようにしていたのだけれども、今年は休みの関係上、どうしてもお盆と重なってしまうことになった。それでも切符とホテルは早めに予約して、例年通りの旅行をすることができたのだが、ひとつだけ違うことがあった。それは、グリーン車の混雑と雰囲気である。

 西行きの新幹線に乗るとき、グリーン車でとなりの席にひとが座ることは、いままでほとんどない。僕はひとりで旅行をすることが多く、世間的にみるとまあ寂しいひとなので、淡々と、粛々と運ばれていくことに慣れていた。しかし、今年は、品川でとなりに人が座る。ななめ前の席に座る女性は靴を脱いで、前の座席を踏みつけるようにして顔の高さまで足をあげる。通路をはさんだ横の席では、子どもが奇声を発している。なんだか、悲しくなった。

 お盆だから、指定がとれなかったのかもしれないから、もしかしたら不本意ながらグリーン車に乗っているのかもしれない。そうしたら、せいぜい払った分は楽をさせてもらおうと考える気持ちはわかる。小さな子どもを抱えて長い時間乗るのに、指定がとれなかったからと自由席に乗るのはリスクが高いだろう。座れないことで子どもの体力が削られるのは心配だ。けれども、がっかりしている僕がそこにいた。それは、夏特有のもやがかかっていて、車窓から富士山がみられなかったせいだけではない。

 

 グリーン車に乗るとき、僕の稼ぎから考えれば決して安くないお金を払っている。まあ、そもそも乏しい稼ぎであって、それを負担に感じるなら、グリーン車に乗るなと思われるかもしれないけれど、そこは年に幾度かしかないのだから大目にみてほしい。そのお金は何のために払っているかといわれれば、こういうしかない。運賃に上乗せして払っているのは「空気代」だと。

 僕の認識でいえば、グリーン料金はスクリーニングのためにあると考えている。ただ運んでくれればいいのではない、そう考える人たちが払うお金なのだ。たとえば、移動中も抱えている仕事を処理しなければ追いつかないので、オフィスの延長として使うために静かな空間を求める人。学会発表を控えていて、移動の時間を少しでも静かな場所で過ごして頭のなかを整理したい人。僕のように落ち着いた空間で旅を楽しみたい人。そういう人たちが払うお金が、グリーン料金なのだと思う。

 

 僕自身が背伸びをして「乗せてもらっている」側なので、あまり偉そうにはいえない。けれども、グリーン車を利用することは、すなわち「落ち着いた空間を求めることへの同意」が前提にあると考える。

 だから、利用する側も、運営する側も、お互いに少し考えるところにきていると感じる、お盆休みの朝である。

 

 

 追記:iPadで旅先からアップロードしたら、改行が反映されていなかったので編集しました。