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気が向いたときに、ぼんやりとエントリするブログです。Twitterで書き切れないことを書きつける場所にしています。

友敵のかなたに

優か劣か

そんなことが話題になる、

そんなすきまのない

つきつめた姿。

持てるものを

持たせられたものを

出し切っている

生かし切っている

そんな姿こそ。

 

 大村はま「優劣のかなたに」の冒頭である。だれかと比較すること、どちらが優れているかと競うことが、かえって力を発揮する妨げになっている。否応なく競争に巻きこまれてしまい、自分が「よくなる」ことよりも、他人より「できること」を求めてしまう。そういう姿勢に対して疑問を投げる詩である。

 おそらく、われわれの暮らす世の中もまた、そういった優劣を競う雰囲気に飲みこまれている。ただし、それは優劣ではなく「友か敵か」の区別である。自分たちの仲間になれば、裕福になれるぞ。自分たちの敵になれば、この国では生きられないぞ。自分たちの仲間になる以外はない、この道しかないと強弁して、立場を決定するように民衆に対して強く要求してくる、そういう空気に包まれているように感じる。

 そして、友か敵か、その線引きばかりをくりかえすだけで、何も進まない世の中になってしまっている。そんな感じがする。特に政治は、空疎なことばのやりとりばかりで、それをながめているしかない僕は、あきらめて、しらけて、無関心になってしまっていた。敵か仲間かと、態度を決めるように迫ってくる、そんな政治につかれてしまっていた。もう放っておいてくれ、勝手にしてくれと投げやりになっていた。

 もう、政治家のいうことなんか信じるまい、それでこの国がこわれてしまうならば仕方がない、そう思っていた。あきらめてしまおう、そう思っていた。

 

 けれども、最後に。ほんとうに最後に、信じてみようと思った。

 

 きょうは、2017年10月14日である。

 立憲民主党という政党が、Twitter を利用して多くの人を動員した。

 枝野幸男という政治家が、その前に立って立憲主義・民主主義を語った。

 まっとうな政治を取り戻したいと、声をあげた。

 

 彼はいう。今回の選挙は、候補者や政党のたたかいではなく、日本にほんとうの民主主義をとり戻そうと思う人々のたたかいなのだ。あきらめてしまえば、どんどん悪くなる。あきらめずに、一緒に政治に参加しよう、新しい民主主義を一緒につくろう。そういう声を広げてほしい。

 この選挙は、枝野幸男のたたかいではいけない、立憲民主党のたたかいにしてはいけない、2017年の選挙が日本の民主主義が新しいステージへ踏みだす、そういう選挙にしたいと、彼はいう。

 これまでにも似たようなことをいう人はいた。そして、そのたびに僕らは裏切られてきた。だから、今回も裏切られて、後悔するかもしれない。美辞麗句をならべる政治家に、またおどらされて馬鹿をみる、そういう罠なのかもしれない。

 

 それでも、最後に信じよう。そう思えるのは、彼が、友敵の線をのりこえようとしている、分断されつつある社会の一体性をとりもどそうとしている、そういうふうにみえるからだ。

 

 誰が敵で、誰が味方か、そういう争いにはもう疲れてしまった。

 どちらが優れていて、どちらが劣っているか、そういう争いにはもう疲れてしまった。

 

 争いに巻きこまれることなく、明日の生活の心配をすることなく、そして豊かに暮らしたいという願いは、誰にも通じるものであるはずだ。そこに、友か敵かという対立は起こらないはずなのだ。

 

 閉塞した状況の中で突破口を開くのは、綺麗ごとなのだと信じたい。人のたましいがこめられた、ことばの力なのだと信じたい。そういう思いを託して、ほんとうに最後に、枝野幸男のことばを、そして、日本の民主主義のあたらしいステージを目指そうという人々を信じて、自分の手にあるこの一票を投じようと思う。

 

 来年の今月今夜のこの月を眺めるとき、その空が涙で曇っていないことを願う。