残業手当はありません

気が向いたときに、ぼんやりとエントリするブログです。Twitterで書き切れないことを書きつける場所にしています。

メモ・雑感

胃カメラヴァージンをすてた

職場から人間ドックを受けろといわれて、しぶしぶ受診してきた。 いくばくかの補助が出るものだから、受けてもまったく損はないのだけれども、それでも病院へゆくことそのものへの心理的ハードルは高く、いつも後まわしにしてしまう。年度内に受けなければど…

いつまでも同じではないのだ

12月の中旬から年始まで、ひどい胃腸炎に苦しんでいた。 いまも後遺症ではないけれど、すこしおなかがゆるいままである。簡単にもとどおりになるというわけでなく、食べたり飲んだりする量も、以前のように無理がきくようになるには、まだ時間がかかりそうで…

2023年もまた、記憶のないままにすぎていった

結局、ぜんぜんブログも書けないままに暮れてゆくのである。どんどん心の余裕がうしなわれて、日常に流されてゆく。そうしているうちに、まとまった思考もないままに一年を終えてしまう。これから綴ろうとすることも散文的で断片的なものになろうけれども、…

2022年、ひたすらにやりすごしていた

1月から3月まではすごく穏やかだったんですよ。2月にスタァライトのオケコンがあって、3月もチネチッタでスタァライトのLIVE ZOUND ハードコア上映があって、今年もじんわりとスタァライトに灼かれながらやっていこうと思っていたんですよ。けれども、列車が…

2021年は舞台少女のキラメキに灼かれた

劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト 小山百代 Amazon 劇場版「少女☆歌劇レヴュースタァライト」Blu-ray 小山百代 Amazon わたしの2021年は「劇場版少女⭐︎歌劇レヴュースタァライト」の年でした。オリンピックとかそもそも全然観ていないし、メダルがどう…

人間は3ヶ月で他人にもどる。

仕事を休んだ。いまの仕事をするようになってから、このままではこころがこわれるからと予防的に休んだのは初めてかもしれない。少なくとも記憶にはない。(とはいえ自分の記憶などあてにならず、都合よく改変しているものだから、そうと意識していなくても…

逃げだしてしまいたいと思ったら、もう逃げていた

嫌なことや考えたくないことがあると、とにかく家や職場から離れてひとりになろうとする癖がある。それがかなわないときは、風呂にこもる、便所にこもるなど、とにかく生活から自分を切り離す。物理的に日常をやれないようにするのだ。 日常をやると、生活を…

それでも枯れたくないという思い

早く「枯れたい」と言う人がいた。さまざまな欲望に、とくに40歳をすぎて性欲に悩まされるのはいやだと、しみじみいうのだ。当時20代だった私には、まったく理解ができなくて、むしろ枯れてしまったなら、じぶんを前に進める動力は何なのだろうと思った。 け…

才能について

あまり多くの人に読まれない媒体へ卒業のはなむけに文章を寄せたので、ここにも載せておく。 多くの人々は早熟の才能の、そのまぶしいほどの輝きを歓迎する。 若くして完成されたその姿から、彼や彼女の力が天より与えられたものであると確信するからだろう…

たまには、せんせいをしようと思った。

米国大統領選をみていて、思うところがあったのでホームルームでこんなことを話してみた。 想像してみてほしいのですが、朝のホームルームでパンパンにふくらんだ風船をひとつと、先がピンととがるまで削られた新品の鉛筆をいっぽん、全員が渡されたとします…

新型コロナウイルス感染拡大のなかで思うこと

また、限られた人たちにメッセージをおくらなければならなくなった。 一刻も早く、平穏な世界が戻ることを願いつつ、新型ウイルス騒動のありさまを書きとめておく意味もふくませつつ、ここに残しておく。 ごきげんよう、みなさん。心地よい風の吹く初夏をむ…

鎮静剤としての競馬

正気を失いそうでいてギリギリ発狂せずにいられるのは、毎週の競馬があるからだと思っている。競馬場に行くことはかなわないけれども、かろうじてでも桜花賞が行われ、皐月賞も施行される流れであることに安堵している。 ふたつのレースは競馬ファンが晩春を…

新型ウイルスによる休業にあたって

ごく限られた人々にメッセージを発信した。 コロナウイルスによる災厄があったという記録のために、ここにもアップロードしておく。 いま、夜9時のニュースをみながらこれを書いています。2020年4月7日の夜です。テレビの中の人は、日本語によく似た…

俗情にあらがえ

人間の社会は、人間が他者に対する善意をもつことを前提に設計されていて、あるいは、社会全体の善意に対する信用をどれだけ高められるかが、社会運営の円滑さを決定する。ゆえに、高度に社会化されたと自認している社会は、相互の信用度が非常に高いため、…

メインストーリー、なんてないのさ

以前、有用性の奴隷になるなという話をした。 役立つことにとらわれすぎると、結果的に奴隷根性が身につくという話だ。 関連して、人生にはメインの出来事とサブの出来事があるのかということを考える。 観測の範囲が狭く、今よりももっと想像力の射程が短か…

『このすば !』なる、ゆるしの国

『この素晴らしい世界に祝福を!』(角川スニーカー文庫)を読んでいる。 ひとまず、本編13巻までを読みおえたので、現時点での感想を簡単に記しておく。 『このすば!』は、基本的に登場するキャラクターの「ダメ」な部分が前面化していて、これが物語の展…

もうすこし複雑にできている

あるところで、餞のことばを述べることになった。しかし、まとまりのないことになってしまったので、伝えようと考えていたことをあらためてここに書きしるしておく。 いま、早熟の天才がもてはやされる傾向があります。将棋の藤井聡太六段に代表されるように…

人生の物語よ、響け!

あまり多くの人の目にふれない媒体へ文章を寄せたので、ここに転載しておく。 たいていの場合、大事なものや大切なことは事後的に発見されて、なぜあのときもっと丁寧に扱わなかったのだろうとか、どうしてあんなに重要なことを見落としてしまったのだろうと…

まぎれているくらいで、ちょうどいい

固有名があきらかな状態で、人の群れている状況が苦しい。 お互いに相手が誰かを知っており、逃げ場のない状況が。 だから、雑踏や人ごみ、無名の観衆となれる場所にゆくと安心する。 そこにいる人々は自分も含め、隣にいる人間が何者であるかに興味がないか…

「からかう」こと自体、文脈依存的なのである

フィクションを自身の体験に引き寄せすぎると、その劇空間を楽しめなくなってしまうことがある。『からかい上手の高木さん』(@takagi3_anime)も、たぶんそういうタイプの作品なのだと思う。 そもそも「からかう」ということ自体が、それぞれの人間関係をベ…

友敵のかなたに

優か劣か そんなことが話題になる、 そんなすきまのない つきつめた姿。 持てるものを 持たせられたものを 出し切っている 生かし切っている そんな姿こそ。 大村はま「優劣のかなたに」の冒頭である。だれかと比較すること、どちらが優れているかと競うこと…

手ざわりのない文章たち

感想文の季節である。 日本の学校空間における感想文の位置づけは、抑圧の装置以外のなにものでもない。 私の職場でも、当然その営みは年中行われている。校外学習へ行きました、感想文を書く。芸術鑑賞会がありました、感想文を書く。他にも普段の授業内で…

価値を共有することの困難

食三法の仮施行がはじまるらしい、ということにふれてからひと月以上経ってしまった。その間に仮施行も終わってしまった。何が行われていたのかを知りたいひとは、以下のリンクを参照されたし。 ameblo.jp twitter.com さて、8月1日から8月10日まで、上野の…

2016年の映画をふりかえる。

日本の多くの場所では、2017年を迎えられたようでなによりである。 どうも、私の属している業界では(私だけなのかもしれないが)1月に年が更新されるという感覚が薄い。まだ、2016年があと3カ月くらいあるような感じがする。それでもまあ、2017年になったの…

ウェイ系というあり方への疑問

どこから話をはじめればいいのか迷っている。いわゆる「ウェイ系」というあり方についての疑問が、自分の内側でどんどんふくらむので、なにかまとめておかなければと思い、いま、これを書いている。 これまで、そういった類の人たちには近づかないようにして…

感想文が苦手だという話

どうにも、いわゆる感想文が苦手である。読むのも、書くのも苦手である。 仕事柄、大量の読書感想文やら、行事の感想文やらを読まなければならない。これがとんでもなく苦痛である。おそらく、文章を読むことが好きな人であればあるほど苦痛であると思ってい…

だらだらと、今年観た映画のことを書くよ

思いつくままに Twitter でつぶやいていたら、少し長くなったので、こちらにまとめておこうと思う。 今年、きちんと映画館で観られた映画は何本あっただろう。 観たいと思ったものは多かったのに、ほとんど行けなかった。『ラブライブ!』と『ガルパン』は、…

仮説:制服とは追憶である

高校生の制服を盗んで捕まった人の話が、やたら耳に入ってくるので、少しだけ考えてみようと思う。 そもそも、制服なんてものは風景のなかにありふれていて、特別な記号にはなり得ないはずだ。しかしながら、このニッポンでは、とくに、いろいろな欲望をもて…

夏休みが終わると、死にたくなるらしいこと

安心して過ごした長い休みの後に、死にたくなる時期があるらしい。 けれども、そんなものは、長い休みのある者にだけ許された特権だ。 それよりも、毎日毎日同じ人間と顔をつきあわせて「もっとやれ、もっとやってくれ」と言われる方が、よほど苦痛だと感じ…

Twitterと私

Twitterを頻繁に使うようになって、本格的に本を読む量が減っているように感じる。必要なときにしか本を手にとらなくなって、何もすることがないから本を読もうという気分になることが少なくなっている。そのかわりに、Twitterをみる。そして、ぼんやりとし…