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京都は、ひとりになりにくい

 かえりのグリーン車は、とても落ち着いた空間でした。ありがたいことです。ただし車両は大混雑で、指定・グリーンとも札止めになっていました。ちょうどいい時間に着く列車だったので、人が集中したのかもしれません。

 

 京都に3泊してきました。ぼんやりと観光をしながら、全体的には「何もしないをすること」を目的とした旅行でした。考えごとをする時間も、本を読む時間もまとめてとれなかったので、自宅を離れることであらゆるものから離れて、個になる時間を求めて出かけました。

 ただ、京都はやれることが多すぎて「何もしない」をできないことに途中で気付きました。金閣寺やら清水寺などの観光地化されているところは、幾度か訪れるうちにだいたいみているので、それほどこだわりがなくパスできるのです。しかし「けいおん!」や「たまこまーけっと」の聖地巡礼は、そこにキャラクターがいる感じが、自分の意識に残っている限りは終わりがないので、目的なく、時間の限りなく、ついつい観てまわってしまうのです。そこにキャラクターが住んでいることを、生活の姿を "妄想" するだけで、ごはんがいくらでも食べられる、そんな状態です。

 しかも、京都はいろいろとおいしい食べ物があるので、ついつい、それを求めて街をふらふらしてしまうのがいけません。おいしい食べ物があって、おいしいお酒があれば、それは美食活動がはかどるというものです。そりゃ午前中から日本酒も飲むわな。さらには、職場で親しくしている人へのおみやげは、ありきたりなものではなくて、あまり知られていないちょっといいものを差し上げたい。そんなことを考えているうちに、気がつけば京都の街を駆けまわっているわけです。

 

 旅行自体は、とても充実していました。落ち着くために選んだ「京都ブライトンホテル」は、とてもいいホテルです。お部屋も広くて、ベッドも心地のよいものでした。きちんと作業のできる机があり、風呂も洗い場のあるタイプでゆっくりバスタブに浸かれるので落ち着きます。ステルス・マーケティングじゃないですよ。

 ただ、思索を深めるには、街ではなくて、もっと寂しい場所の方がいいのかもしれません。それこそ、作家がカンヅメになって書くような場所、温泉とうまい空気しかないような場所の方が。そんな場所に行ったら、僕は発狂するでしょうけれど。

 

 帰りの新幹線のなかで考えたのは、列車に乗って長い距離を移動するときに、なんとなくおぼえる疎外感のこと。列車で移動しているにもかかわらず、地続きの場所を徐々に移動しているのではなくて、なにか超越的なものに指でつままれて、ひょいと位相・次元の違う2地点の間を移動させられたような感じがして、自分がこの世界の人間ではないような、一瞬、異邦の人になったような気分になるのです。

 はじめは、新幹線のような速い乗り物で移動しているせいかと考えました。名古屋の次に停まる新横浜まで、だいたい1時間30分。中部地方から自分の住まう関東地方まで一気に引き寄せられた感覚があるからなのかなと思いました。けれど、東京駅に降りたときに感じたのは、そういった速さからくるものとは違うようです。それこそ、大阪から東京まで6時間半かけていたころも、これと同じ感覚があったと思うのです。

 

 その感覚は、ちょっとうまく整理できない、まとまりそうにないのでこのくらいにしておきます。とにかくいい旅行でした。