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HKT48の魅力は、運動では引き出せない。

 HKT48の女の子たちに体操服を着せると、申し訳ない気分になる。というより、テレヴィのこちら側にいる自分たちが、ものすごい悪人のように感じてしまうのだ。番組冒頭などで「座ってください」「やー!(かけ声とともに体育座り)」のような、福岡あるある的やりとりをしているうちはいいけれども、あまり運動の得意でない1期生(そういう設定なのかもしれないけれど)と、それなりに動ける2期生とが並ぶと、先輩を「かわいがる」後輩という構図にみえて、正直痛々しいのだ。今週のトンコツ魔法少女学院は、そういう意味でみているのが辛かった。

 

 HKT48の出てくる番組をみるとき、彼女たちの表情の変化や、状況にぶつかっていくときの姿勢に心をひかれる。たぶん、AKB初期ヲタたちが懐かしむような、完全には洗練されていない、タレントさんとしては荒削りだけれど、作りきれない表情や、仕込みきれないキャラクターの剥げ間からみえる、少女たちの等身大の部分を求めているのかもしれない。こういう風に書くと、ものすごい変態さんにみえるけれども、自己弁護をするならば、それは平安貴族における垣間見のようなものなのだ。

 バラエティ番組で、あまり激しい動きを伴うものになると、競技をしている者以外の表情の動きや、画面の端の方に映りこむメンバー同士の絡みを拾いきれないように思うのだ。スポーツものは、どうしても競技をしている者の動きを追うので、それ以外の者たちはどうしても希薄化する。けれども、大人数グループの魅力は、そういった端っこの出来事まで楽しめることにあるのだと思う。特にHKT48は、バラエティでは前に出られないメンバーも、そこにいるだけで「綺麗」「かわいい」という者も多くいる。端でも、少し映るだけでバリューのある子がいる。また、大島優子秋元才加のようなフィジカル面で他を圧倒するようなキャラクターを発掘できる可能性も、まだみられない。

 

 今週の「トンコツ」と「おでかけ」をみていると、森保まどかの迷走がさらに進んでいる。クールで綺麗な顔立ちゆえに、黙っていたり、無表情な返しをすると「怖い」印象になってしまう。村重・中西・谷のような、表情がくるくる変わるメンバーを相手にするときに、対比で「感じの悪い子」のようにみえてしまうのが、かわいそうだ。森保は「ポスト・麻里子さま」(というと安っぽくなるからイヤなのだけど)を担えるポテンシャルがあると思う。麻里子さまのような、クールなボケというポジションを目指すならば、無理してキャラ立ちをさせよう考えるより、思うまま・感じるままにナチュラルな反応を返した方が、まどかの一本立ちは早い気がするのだ。

 

 そういえば、今週の「FRIDAY」の表紙は、さっしーだった。あまり意識していないけれども、いつもは手にとらない写真週刊誌を、思わずレジに持っていくくらいには、さっしーに興味があるのかもしれない。私は、私が自分で思っている以上に、さっしーのことが好きかもしれない。指原莉乃というアイドルは、積極的に好きと表明することがはばかられる、不思議な存在だ。けれども、目を離すことができない。小学生のころにあった、好きな女の子に休み時間のたびにちょっかいを出しにいく、素直になれない幼い男子の感情を抱かせる。

 指原莉乃は、物語をまとうことに意識的なアイドルだと思う。だから、それを作為だと否定的に受けとる者にとっては、もう「あざとい」としかみえないのだろう。けれどもアイドルなんて、みんな「あざとい」ものなのだ。作為にまみれたものなのだ。むしろ、それを積極的に引き受けるさっしーの在り方はいさぎよい。

 「FRIDAY」に載るさっしーのグラビアは、毎回本人プロデュースのテーマがあるらしく、今回は「とらわれの女」とのこと。こういうところにも、積極的に物語を引き受ける感じがあっていい。さっしー本人としては「女」として撮られることの照れ隠しで、自分から離れた存在になるための自己防衛なのかもしれないけれど。それでも好きだよ、なんてね。