ごくごく個人的な体験なので、自分語りなんかよみたくないんだという人はこのままスキップしてもらった方が精神衛生上よいのだろうな、と思う。けれども、ものを食うことについて最近思い出したことを書かずにはいられなくなったので、ここに記しておこうと思う。
あれはもう、7年くらい前になるだろうか。そのときにお付き合いしていた人と、某井の頭線沿線のカジュアルイタリアン(でよいのだろうか、ちょっとかわったパスタを出すお店で、小さなチェーンを展開していた。)で、遅い夕食をとったときのことだ。
そのお店にはキッチンのみえるカウンターがあって、その隅に、たまたまあいていた2席に通された。夜も遅い時間だったこともあり、もしかしたら、ろくにメシも食わずに話すばかりのカップルだと思われたのかもしれない。他の客の目につかないところで、大人しくしていろというメッセージだったのだろうか。
けれどもぼくらは、とにかくおなかがすいていた。だから、メニューにあるものから目についたものをどんどん注文する。肉をグリルで焼いたもの。きのこをバターで炒めたもの。しょうゆ風味のパスタ。などなど、品物が提供されるたびに「うめー」「うめー」と、なんの批評性もない感想、というよりも、うまいもので腹がどんどん満たされていくよろこびを垂れ流しながら、無心に食べ続けた。
そして、満腹になったぼくらは深いため息を吐く。もう言葉はいらなかった。間違いなく幸せに満たされた時間を共有していると、互いのまなざしから感じていた。
会計をして、店主がぼくらを送り出すときに言った。これほど一心に、そして幸せそうに食事をしてくれたお客さんはいままでになかったと。
それから、いろいろなことがあってその人とはわかれてしまった。いろいろな行き違いや、ぼくのわがままのために、その人との時間は失われてしまった。けれども、あのような時間を持てたからこそ、ぼくはいま、こうして生きているのかもしれない。
高級なものではなく、着飾って行くような気取った場所でもない。パーカーをひっかけてふらりと入るような、気軽なお店だった。だからこそなのだろうか、そのときの記憶は、ぼくのこころのひだに深くはいりこんで、まだ消えないでいる。
特別ではない日常のなかにあって、けれども、それはまちがいなく豊かな時間だった。だからこそ、こんなにもぼくのこころをしめつけるのかもしれない。
あの日のような、しあわせは、もうにどとやってこないのだろう。