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「指原の乱」は教育番組なのだ

 「指原の乱」をみていると、表面的には深夜ゆえに許されるゆるめの構成で作られた、業界視聴率の高そうな番組という印象である。おそらく、芸能関係だったり、出版関係だったり、権利関係のビジネスなどに関わる人たちにとっては、相当に「あるある」感の強い内容になっているのだと想像している。

 そういった業界の人たちにとっては、番組内で語られることが、比較的容易に理解できるのだろうし、もしかするとピー音の裏側に隠れているものを察することもあったりするのだろう。この間の「指原の乱」でやってた話は、○○の××の話だよね、などと話題や情報を共有できる人間同士では、さらに業界人としての仲間意識が高まることもあるかもしれない。

 

 それでは「指原の乱」が業界外の人たちに対して排他的な作りになっているかといわれれば、当然そうではない。むしろ、さっしーがみせる反応は「大人」たちが語るさまざまなお金の動きや業界内の力関係などを、新鮮な驚きをもって受けとめている感がある。(それもまた、プロデュースなのかもしれないけれど。)

 そして視聴者の側は、福田雄一監督の導きで大人から話を聴くさっしーの反応を楽しみながら、同時に芸能ビジネスやその周辺で動いているお金の流れ、あるいは普通に暮らしていたのではのぞき見ることもできない領域の話などを知ることになる。

 そういった意味で考えると「指原の乱」とは、秋元康のようなプロデューサーが渡ってきた場所を、福田監督がガイドとなってさっしーに勉強させる、業界研究型教育バラエティの構造を持っているのではないかと感じた。特に、写真集作成シリーズ、映画制作シリーズ、キャラクタービジネスシリーズは、そのような色が濃い。

 

 だからきっと「指原の乱」とは、やすすがさっしーにプロデューサーとしての教育を施すための手段なのだと考える。まあ、さっしーはそんなこと微塵も感じていないだろうけれども。