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夏は、失われた命に思いを致す

 海外へ研修に出ていた人に宛てて文章を寄せた。わずかな人しか読まない媒体に寄せたものなので、ここにもおいておく。

 

 日本の夏は、失われた命に思いを致す季節であると考えています。

 お盆に先祖を思うことはもちろんですが、8月6日の広島、8月9日の長崎、そして8月15日、先の大戦で命を落とした人を思い、いまが平穏無事であることの尊さをあらためて思う。そういう季節なのだと私は考えます。

 みなさんが日本を離れている間に、一人の悪意によって多数の創作者の命が奪われる悲しい事件がありました。私自身、この文章を書いているいまもその打撃から立ち直ることができず、心の整理もつかないまま、亡くなられた方の御霊が安らかであることと、傷ついた方の快復を祈るばかりの日々を送っています。

 そのことによっても「日本の夏は、失われた命に思いを致す季節」という印象を強くしました。

 

 この悲報に接してまず思うことは、私たちの社会は、また私たち自身の心も、人の善意を前提として組み立てられていて、ゆえに唐突な悪意の発露に対してあまりに脆弱であるということでした。悪意の遍在を前提に社会を設計することはできないからです。社会の根幹は、他者によって自らの命や権利が侵害されないと相互に信頼できることにあり、そうでなければ人々が協働することなどできないのです。

 ならば、その悪意から、自分と自分の大切な人を守るためにどうすればいいのか。私はこう考えます。

 

 他者の命、自分ではない誰かの人生に思いを致すことの先にしか、その方途はない。

 

 言うまでもないことですが、すべての人間の背後には、その人を大切に思う人がいます。目の前にいる友人は、彼や彼女の親がすべてをかけて育んできた存在であるはずです。また、この世界には失われてよい人間など一人としていないと知り、かりに死刑になるような大罪を犯した者であっても、その彼に「生きていてほしい」と願う人がいることへの理解が求められます。

 

 悪意の闇が広がる前に、われらの善意でこの世界を満たそう。

 

 自らと自らの大事な人を守るための一歩として、まずは過去に失われた命に思いを致し、いまを生きるはずだった誰かの人生を想像する夏にしてほしい。そのように願っています。

 それはそれとして、夏休みですから陽気に上機嫌でいてほしい。そしてなにより「いのちだいじに」よい夏を過ごしてくれればと思います。