残業手当はありません

気が向いたときに、ぼんやりとエントリするブログです。Twitterで書き切れないことを書きつける場所にしています。

新型ウイルスによる休業にあたって

 ごく限られた人々にメッセージを発信した。

 コロナウイルスによる災厄があったという記録のために、ここにもアップロードしておく。

 

 

 いま、夜9時のニュースをみながらこれを書いています。2020年4月7日の夜です。テレビの中の人は、日本語によく似た異星の言語で話しているので、内容はよくわかりません。(※あくまで個人の感想です)

 

 私の意見は、みなさんと最後に会った2月29日から変わっていません。そして科学的な知見もそれを裏づけています。すなわち、新型コロナウイルスによる感染症は、かりに感染したとしても即座に死にむかう病ではないこと。そして適切な医療処置をうければ治る病であること。ゆえに、必要以上に恐れる病ではないことです。

 われわれは、科学的知見に基づき冷静に合理的な判断をすべきです。不安な思いを無理におさえる必要はありませんが、それを打ち消すために生じる非常時のあの妙な興奮に流されてはなりません。

 また、政府より出された緊急事態宣言は、個人の生存がただちに危機にさらされることを示唆するものではありません。もちろん、家の外には危険が満ちていると伝えるものでもありません。これは、感染症を含むすべての疾病について必要な処置を施すべく持続的な医療を維持する目的のものであり、あるいは、社会システムそれ自体の崩壊を防ぐためのものと認識すべきです。それは、社会というコンピュータをセーフモードで再起動するようなもので、一旦は必要最小限の機能だけを残し、それ以外の一切を停止してシステムの回復をはかるための措置です。

 外出の抑制についても社会の「余力」を確保するためのもので、自由で文化的な生活をあきらめるよう強制するものではありません。また、必要火急の外出にまで後ろめたい思いをすることはありません。

 われわれは、社会機能の回復と保全のために協力する必要はありますが、「緊急事態」という言葉の見た目がもつ印象にまどわされず、事の本質をみるべきです。繰り返しますが、わざわざ「恐慌」のなかに身を投じる必要はありません。

 

 さて、やがて必ず「ポストコロナウイルス」の世界がやってきます。この騒動(とあえていいます)が終息をむかえた後に、どのような世界がやってくるのかを想像することが、この状況を生きるわれわれにとって最も大事なことだと考えます。

 おそらく、世界のさまざまなものが大きく変容するでしょう。3か月前、お正月の時点で予測していた未来とはまったく違うものになるでしょう。それを思いつつも、いまは自分の手で制御できるものに集中して、それぞれに可能な範囲で文化的な日常を守りましょう。