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このすばらしい世界に祝福を

 ちょうどいいくもり空は、今年のダービーの気分に似合っていると思う。

 震災の年のダービーは、大雨だった。ぬかるむ馬場でどろどろになりながら、オルフェーヴルが三冠を予感させる圧倒的な強さをみせた。彼の強さは、ヴィクトワールピサトランセンドがドバイでみせた強さとともに、2011年の競馬の支柱となった。

 今年はすっきりと、ただ喜ばしい気分だけでダービーの日を迎えたわけではない。皐月賞の叩き合いを現場で観ることがかなわなかった悔しさが忘れられない。桜の女王が、数多の壁を蹴散らしながら樫の戴冠をなしとげたレースを、モニター越しにしか観ることのできなかった悔しさを忘れはしない。今年の春、そして初夏、歴史をその場で目撃する権利を得る機会さえなかったことを記憶しつづけるのだ。

 だから、いつもの年のようなさわやかな青空はなくていい。輝く薔薇の花園もなくていい。かえって寂しさが増してしまう、そう思うから。

 

 他方で思う。ダービーがあってよかった、競馬があってよかった。何もかもが変えられてしまった世界で、週末にこれまでと同じように競馬があることの安心は、何にもかえられない。だから皆、競馬場の門が閉ざされたままであっても、堪えているのだ。競馬を終わらせないためには、仕方がないのだ。

 そういう気分に、今朝の曇天はふさわしい。

 ただ、レースの頃にはすこしでも陽が射すといい、そう願っている。ダービーの特別な白ゼッケンの輝き、18頭にだけ許された金刺繍の誇らしさは、世界がどのような状況にあっても変わらないものだから。そして、その白ゼッケンが東京優駿からはじまる若駒たちの道を祝福するものであってほしいから。

 戦争があっても、震災があっても、必死に守り、つながれてきた過去86回の思いの先に2020年の東京優駿はある。だからわれわれはこれまでと同じように、府中の杜に集った18頭へ、この言葉を贈ろう。

 

 ダービーへ、ようこそ。