米国大統領選をみていて、思うところがあったのでホームルームでこんなことを話してみた。
想像してみてほしいのですが、朝のホームルームでパンパンにふくらんだ風船をひとつと、先がピンととがるまで削られた新品の鉛筆をいっぽん、全員が渡されたとします。
そして、私がいうのです。「いま、みなさんのもっている風船が1分間割れなかったら、勝ちです。最後まで風船を割られなかった人には、賞金5000円をあげます。では、スタート!」
おそらく、みんないっせいにお互いの風船を割りはじめるでしょう。そして1分後にはすべての風船が割れ、床にはビニールのかけらが散って、その手にはとがった鉛筆だけが残されているのです。
お互いに協力すれば、みんな5000円もらえたのにね。
対立する、あるいは競争するよりも、協力したほうがくらしやすい集団に、くらしやすい社会になると、みんなわかっています。けれども、なぜか選挙や試験になると現代人はそれを忘れてしまう。
あえてこの言葉を使いますが、どんなに現代社会が「進化」していったとしても、そこに住む人間は突如として「野蛮」になることがある。
今回の米国大統領選挙をみていて感じたのは、そのことです。いま、合衆国全土では赤い風船と青い風船をもった人が、自分と違う色の風船を鉛筆でどんどん割っている。そして最後に風船が多く残っていたほうが勝ち、というような競争をしている。お互いの風船がなくなるまでつづく、はてしない争いを。
その結果、人々は自分が何色の風船をもっているか周囲に打ち明けられないまま、表面的なつながりしか保てずにいる。
苦しい状況にあるからこそ、われわれは "Unite" という語の意味を考えるべきだと、わたしは思うのです。