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価値を共有することの困難

 食三法の仮施行がはじまるらしい、ということにふれてからひと月以上経ってしまった。その間に仮施行も終わってしまった。何が行われていたのかを知りたいひとは、以下のリンクを参照されたし。

ameblo.jp

twitter.com

 

 さて、8月1日から8月10日まで、上野の鈴本演芸場柳家喬太郎師匠の三題噺興業があった。私は旅行に出ていて、初日はいけなかったのだけれども、2日目~仲日と7日目~楽日まで、新しい噺が生まれる瞬間に立ち会うという貴重な経験をした。

 その芝居のなかでいろいろと思うところがあって、そのたびにぶつぶつと Twitter でつぶやいてはいたのだけれど、そのなかで難しいなあと思ったことがあったので、ここにあらためて書きつけておこう。

 

 噺家さんについて語るとき、われわれは「誰々師匠の芸はすぐれている」とか「何々さんが若い女をやるときの仕草が好きだ」などと、その芸をほめることがある。そういうときに陰のようにわいてくるのが「誰それ師匠と比較すれば、某噺家の芸は未熟」などと、誰かと別の誰かとを比較して一方を貶すことで、もう一方を持ちあげようとする輩である。

 この仕方は、非常にうまくない。

 まあ、もともと芸事の価値は、多くの人間の好き/嫌いが寄り集まって生成されるものだ。誰かのことを烈しく好きになる裏側には、当然、別の誰かのことを烈しく嫌う心がうまれるだろう。そのこと自体は避けられない。強烈な芸能は、万人の心に刺さることなどあり得ないのだ。最近は「ファン」や「推し」などというマイルドなことばでいわれるようになったが、ある人が持つ才能に惚れて肩入れすることは「贔屓」にすることなのであり、本質的に排他的な行為だ。

 それをわかったうえで述べるのだが、そのように「嫌い」な思いをあからさまに表明することは、持ちあげたい芸人の価値をあげることにはつながらない。むしろ「その芸人を贔屓にしているやつは、そういう野暮なことをする輩だ。そんな輩にちやほやされてよろこぶ芸人なんてたいしたことはない」と、かえって贔屓の芸人が肩身の狭い思いをすることになる。

 そもそも、寄席に通っている人間なんかたいしたものではない、といわれたらそこまでだ。明るい場所を歩いている人たちからすれば、演芸好きなんぞ目くそ鼻くそである。そんな「くそ」同士で喧嘩の種をつくるような仕方で、自分の贔屓を語るなんて阿呆らしいとは思わんかね。

 

 などと、えらそうにこんなものを書いている自分も、10年くらい前は人の贔屓を貶す、馬鹿にする、そんな野暮な阿呆の一味だった。もともと演芸自体には興味を持っていたものの、定期的に寄席へ通うようになったのが遅かったので、友人たちのなかには当然、自分より先行する演芸好きがいて、その人らに追いつかなければと焦っていた。自分の無知を暴露されないようにするために、虚勢を張って「通」ぶっていたところもある。

 そんなことだから、同好の人のなかには贔屓を貶されたことに不快感をおぼえて、離れていった人もあった。あるいは、離れていかなくとも寄席や演芸の話をしなくなってしまった人もあった。(志らくを贔屓にしていたあの子は、いまごろどうしているだろう。まだ、志らくの会に通っているだろうか。彼女とのやりとりを思い出すたび、あのとき彼女に投げつけたことばを消してしまいたいと思う)

 過去の自分に対する後悔と羞恥が、これを書かせている。

 だからこういう提案をして結ぼうと思う。これはどうしても自分の価値を誰かに「共有させたい」人に向けて、あるいは演芸について何も知らないヤツらを「啓蒙したい」人に向けての提案だ。

 まず、相手の価値観や演芸観(みたいなものがあるとしたら)を正しいものに更新してやろう、上書きしてやろう、塗りかえてやろうという考え方は、相手の反発を招くだけで不要な遺恨がうまれるだけなのでやめたほうがいい。

 大事なことは、啓蒙したい相手の視野を「拡げてやる」という意識だ。(こういう欲望のある人に、タワーマンションの屋上から語るようなその態度をあらためろといっても無駄なので、せめて意識だけでも変えてほしいと思ってこう書く)

 演芸に興味を持ちはじめた人は、自分の好みがどこまでの領域、延長を持っているのかに自覚的ではない。ただ、興味のきっかけとなった芸人に対する思い入れは非常に強いので、それを貶すようなことをしたら二度と寄席には帰ってこない。寄席に帰ってこない人が増えれば、演芸好きは自らの首を絞めることになる。油断をすると、演芸をみられる場所はあっという間に減ってしまう。

 だから、もしあなたが演芸好き(「演芸」のところには、他のジャンルを入れてもいい)を自認するならば、寄席(現場)にその人が帰ってくる回数を増やすこと、それが自分の演芸体験の質を向上させることにもつながると、主張や発言をするときは常に意識することだ。

 

 われわれは、自分の持っているものを守ろうとするし、自分の価値観がこの世界で最も優れたものと思いがちである。また、自分が他人と比較して優位であることを確認しようとする。そうして、友人であったり後輩であったりが、自分をのりこえないように注意深くふるまう。

 けれども、自分が豊かな体験や経験を得ようとするならば、最も効率的な方法は周囲にいる人を「育てる」ことなのだ。育った人たちが、また新たな体験や経験のきっかけを自分に運んできてくれる。それによって自分のセンスがさらに磨かれる。その繰り返しが、われわれの体験や経験を進歩させてきたと思うのだが、どうだろうか。