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気が向いたときに、ぼんやりとエントリするブログです。Twitterで書き切れないことを書きつける場所にしています。

2022年、ひたすらにやりすごしていた

 1月から3月まではすごく穏やかだったんですよ。2月にスタァライトのオケコンがあって、3月もチネチッタスタァライトのLIVE ZOUND ハードコア上映があって、今年もじんわりとスタァライトに灼かれながらやっていこうと思っていたんですよ。けれども、列車が次の駅へ着こうとしているのに、自分たちが停滞することなんか許されなかったんですよね。

 4月、授業が始まって2日でひとり先生が辞めて、1学期末でもうひとり辞めて、その穴を埋めるために代わりのひとを探したり、あるいは自分が授業を多くもったり、さらには自分以外の先生にも余計に授業をもらうようにお願いして調整したり、この12月くらいまで終わらない雑巾がけをしているような、ものすごく不毛な気持ちですごしてしまいました。

 価値を生産するとか、付加するとか、そういう新しいなにかを積みあげるためのことはできなくて、ひたすらに日常をまわしていくばかりになってしまった。自分自身も後退して、とにかく撤退戦をするしかなかった。2023年は2022年に下がってしまった分も前進する気合でやらねばならんなと思う大晦日です。


 さて、2022年は日常系アニメーションが閉じた世界、コミュニティの内側にとどまったままで進行してゆくありようから、変化を受け入れ、外部との接続を考える段階に近づいてきたように思います。

 『映画 ゆるキャン△』では原作を追い越して、すでに社会人として暮らすキャラクターたちが描かれました。

 物語の骨格自体は、過去にキャンプを介してつながりを構築した者たちが再結集してキャンプ場をつくるという、ベタといえばベタなものであるのだけれども、それでも空白となっていた期間にどのように「大人」をやっていたのかが充分にうかがえるようになっていて、野クルメンバーやリン、恵那の変化にも説得力があったと思います。(なによりちくわが便利に消費されずに、きちんと老犬になっていることにも好感をもちました)

 2022年の最後を飾った『ぼっち・ざ・ろっく』もまた、学校の外側で生じた出会いから話が転がってゆくストーリーでした。

 学校内のコミュニティはむしろ障壁としてあって、それよりも学校外のバンドや、その縁ですることになるライブハウスでのバイト、ノルマチケットをさばく過程でやはり偶然に出会う他のバンドのベーシストとのかかわりなど、それまでの日常系とはちがう可能性が含まれていたと感じます。

 学校外部との接続回路をいかに確保するべきか。あるいは、いま関わっている人たちが自分の未来を想像するための材料をどう提供するか。それは常に考えているのだけれども、今年は趣味として観ているものからも深く考えさせられてしまいました。

 

 

 

そのほか。

小山百代が今年もとてもかわいかった。

 

上坂すみれの写真集の出来がよかった。

 

着せ恋、めっちゃ出来がよかった。

 

リコリス・リコイルで、安済知佳の引き出しの多さをみた。

 

トップガン・マーヴェリックは、とてもよい続編だった。

 

 雑駁な感じになりましたが、まだまだ世界は続くのだと信じるならば、無理にまとめなくてもよいのだろうと思います。

 2023年がよい年になるように祈りつつ、結びとします。ごきげんよう