残業手当はありません

気が向いたときに、ぼんやりとエントリするブログです。Twitterで書き切れないことを書きつける場所にしています。

悪いが、俺は休暇だ

新幹線のなかで、これを書いている。

 

もう、刷りこみのようなものなのかもしれないけれど、新幹線に乗るとSKE48の曲が聴きたくなる。この時期だと「ごめんね、SUMMER」や「賛成カワイイ!」が気分にマッチして、とても心地がいい。それ以外の曲でも、SKEが持っている「はじけるパワー、飛び散るかわいさ」が、旅行の浮き立つ思いとの相乗効果で、より心に響いてくるのかもしれない。

この刷りこみが、JR東海(名古屋に会社があるから)とか、相変わらず珠理奈と玲奈が大きな看板でいる(JRだから)という、安直な連想からくるものとは、思いたくない。

 

 ところで、音楽を聴きながら、こうして、徒然と文章を書いている状況は、家にいるときと何ら違いがない。僕らのくらしている場所は、どんどん均質化していくことを感じる。それも、ハード・ソフト両面での技術革新によるものなのだろうけれど、10年前の自分は今の状況を夢想する(どこにでもコンピュータを持ち運べるようになって、どこでもインターネットに接続できて、いつでも好きな音楽が聴けるようになることを願う)ことはあっても、それが近い未来に実現するとは思えなかった。だから、将来的には外に出ることを極力少なくして、本と音楽、そしてアニメーションと映画にあふれる部屋で、視覚文化に溺れる高等遊民として暮らしたいと妄想するしかなかった。

けれども、現代においては、音楽やスマートフォン動画をファイルで持ち運び、書籍もその好悪は別にしてもデータで持ち運べる。タブレットスマートフォンを持つだけで、ついに、自分の部屋を持ち運べるようになったのだ。

 

これならば、どこにいてもいい。そう思えるようになったから、少しだけ生きる窮屈さから解放されたのかもしれない。

 

学部4年生のときに尾瀬へ行ったのだけれども、あのときは、インターネット環境からだけでなく、携帯電話さえつながらない(通信塔が立っていないため、電波がこないのだ)状況で、半狂乱になりそうだった。もう二度と、モバイル通信不能な場所にはいかない、インターネット環境のない場所には行かないと、帰りの車のなかで念仏のように繰り返した。


インターネットにつながらないことは、ぼくにとって「部屋」を失うことと同じだった。心が疲れたときに引きこもる場所なのだ。ケガレを落としてケに戻る、小さな祝祭や潔斎を繰り返すことで心の平安を保持していたから、それがなければ、常に自己をさらし続けなければならない。それは、堪えられないことだ。

勤めるようになってから、かならず夏には独りで、自分を知らない人しかいない場所へ行き、精神的に引きこもることにしている。これがなければ、少なくともぼくは、心の均衡が失うと思っている。自分の部屋を離れた、ほんとうの意味での「部屋」を持たなければ、活力はただ吸い出されるだけなのだ。

秋を生きるために、不義理・不人情を致します。
いつか夢想した、視覚文化時代の高等遊民生活を、僅かな期間ですが愉しませてもらいます。


其れでは皆さん、御機嫌よう。左様なら。

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