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信用や信頼が役に立たない世界だが(第82回優駿牝馬・オークスの展望)

 賭事にあたるとき、律儀さはなんの役にも立たない。賭事は基本的に他人を養分にしなければ勝てないのだから、いかにして他人の期待を裏切り、他人の認識と自分の(あるいは自分に与する者たちの)認識とのズレを生み出すかにかかっている。裏切りが深ければ深いほど勝ちも大きくなる。

 他方で、競馬は馬券を買う側の世界とは無関係な(という建前になっている)もう一つの世界があって、そこで生起する未来の現象を正確に予測した者が報酬を得られるという、予言者ゲームの様相もある。しかし、予言者としてのカリスマ度は、やはり大勢の期待を裏切れば裏切るほど、すなわち払戻額が大きくなればなるほど高くなる。

 賭事は、他人を裏切ることが勝利の条件だ。

 その点で、競走系の賭事は不思議な構造をもっている。原理として裏切りを包含しながら、競馬ならば馬と騎手を、そして彼らを送り出す調教師や厩務員、さらにその背後にいる外厩や牧場の人々をまで〈信じて〉馬券を買う。

 裏切りながら信じて、信じながら裏切る。そういう複合的な感情を抱えながら、今週も競馬をみているわけだが。


 牝馬のレースは、いつも信じすぎてしまう。生来女性に弱い私は、相手を女性とみるだけで好きになるし、相手を女性とみるだけで応援したくなる。当然、惚れた女性には入れこみすぎてしまう。桜花賞オークスが好きなのも、これからさらに強く美しくなる女性の、その才能のかがやきに寄り添いたいと欲望するからだ。

 さて、多くの人の期待を裏切り、それを養分にはばたく未知の才能。そのような女性はいないかと、出馬表に目をおとす。


 しかし、桜花賞はやはりオークスの最重要ステップレースなのだ。だから、昔の女、上位馬はよく吟味しなければならない。ソダシは強い。ここまで勝ちが積み重なると距離云々という話ではない。素朴に競走馬としての潜在力が高いので簡単には崩れない。けれども、ソダシはすでに「別の男の女」だ。堀北真希であり、石原さとみであり、新垣結衣なのだ。けれども女優としての魅力は無視できないので▲。

 サトノレイナスがダービーへ向かったから、次にくるのはファインルージュだ。ファインルージュには桜花賞で◎を打った。いってみればエクスガールフレンドだ。裏切りこそが勝利の近道とわかっても、一度惚れた女性を簡単にふり捨ててよいものだろうか。未練がましく◯とする。根の部分に厚く流れるノーザンダンサーが遠くから見守っている。さらにサンデー3×4が守護霊となり最後は闘争心で距離をこなす。オークスは正味1800mだから、2コーナーまでスムースなら問題ない。桜花賞をみるかぎり操縦性はさらに上がっている。

 だが、過去の女性は、やはり過去。未来をみなければ人生も馬券も覚束ない。ともに笑い、ともに泣く女性を選ぼう。


 運命の女性。◎は、スルーセブンシーズだ。


 馬場が重くなればとか、上がりがかかればなどと、条件つきで推す人はいるがそんなことは関係ない。母が府中でみせた直線速力と、父がみせたレースセンスの高さは、たしかにこの仔へ受け継がれている。競馬は継承の物語である。彼女は世界中を探してようやくめぐり逢えた運命の結晶である。前走は外をまわりながら抜群の手応えで直線へ向き、ノーステッキのまま真っ直ぐに抜けて快勝した。中山で強い馬こそ、世界に通用する馬である。オルフェーヴルの忘れものは、兄の娘に獲りに行ってもらおう。彼女は未来の凱旋門賞馬である。ここで負けるわけにいかない。


◎スルーセブンシーズ

◯ファインルージュ

▲ソダシ


単勝 2

馬連BOX 2,11,13

ワイド 2-11,13

3連単 2→11,13=1,4,5,7,8,9,10,15,16,18