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未踏の場所へ(第82回菊花賞のこと)

目覚めのコーヒーをあたたかいものに変えた。夜明けは遅くなり、昼は短くなる。寒く暗い部屋でむかえる朝は憂鬱をはこんでくる。これはよくない兆しだ。過去へ思考が押しながされて脚が前へでなくなる。そうなる前にコーヒーをもうひと口のんでカーテンをあけた。

外はあかるい。陰湿な空気が霧散した。ことほど左様に人間は環境にあらがえない生き物なのだ。まわりの言葉におどらされ思いこみにとらわれることなど、つまらない。

 


競馬の前にはいつも他人の言葉がある。あれは母系がスプリンターだから距離がもたないとか、体形的に窮屈なところがあって長距離では厳しいなどと、馬をみる人の数だけきこえてくる。そのほとんどが欠点や過去の瑕疵をあげつらうもので、誰かの失敗を願うもののようにきこえてしまう。不安を口にして呪いをかけるようなことばたちだ。心を冷やすばかりで勇気を与えるものはないのか、そう思う。

 


菊花賞は3000m。ほとんどの馬たちが未踏の距離に挑むのだ。せめては前向きなことばで送り出したい。そして無事にかえってこいと思う。

ただ、今年の顔ぶれをみると闘いになるまえに脱落する者が多くなりそうだ。菊花賞はいつも、最後のコーナーをむかえる前にバテて下がる馬が内側で滞留して、じっくり脚をためていた馬も行き場を失ったり仕掛けに手間どったりする。それが今年はさらに増えて各馬にとって難しい局面が複数回あるように予測される。ならば誰が栄光の道を見出すのか。

 


運命が呼ぶとき、不思議な力によって扉は開かれる。

ダービージョッキーのその手綱がすっと、ディヴァインラヴのものとなったことは彼女にとって幸運だった。過去の2戦を共にたたかい「教育」をうけてきたことは、今回の不確定な要素の多い菊の舞台では有利にはたらくだろう。

モンテディオが北海道の地でみせたスムーズな追走とその操縦性は、その不慣れなコース形態ゆえに混乱が生じるかもしれない仁川の3000mでは、護符のように思える。いよいよ覚醒した横山和生の手綱で、戦前の評価を覆す姿をみせてくれると思う。

そして荒々しく、その才能を持て余すかのような初夏の走りを経て、いよいよ大輪開花となるかセファーラジエル。右回りにかわることは好材料で、キズナの血が内包する鋭さを再びみせたなら先頭でのゴールもみえてくる。

 


◎ディヴァインラヴ

モンテディオ

▲セファーラジエル

 

単勝 11

馬連ボックス 6,10,11

3連単 11=6,10→2,3,5,7,14,15,16,17,18


もしも過去の結果のままに現実が流れてゆくならば、毎回の競馬は無為であろう。レースのごとに結果はかわり、世界は複数の線にわかれていく。誰もしらない結末にむけて18頭は走る。その姿が放つきらめきを、私はみたい。誰もみたことのない新たな歴史が、この少女によってひらかれるその瞬間を、私はみたいのです。わかりますか。